2025.06.03
DigOut編集部のよしおが選んだ楽曲たちをプレイリストにし、それに合わせて空想の物語を短編小説に昇華しました。
“音楽を通して物語を楽しむ”をモットーに作った「Concept Playlist」
今回のConcept Playlistでは、ゆっくりしたい休日の朝がピッタリでしょう。ダラけたい朝、お昼まで寝ちゃおうかな？なんて思っているあなたに届けたいです！
無理はせず、ゆっくりと起き上がってみましょう。
では！次はConcept Playlist＃9でお会いしましょう！
もう朝。それは確かに、まだ夜の名残を薄く纏った言葉だった。
頼りない右手はゆるやかに震えながら、車の鍵を捻る。冷たい金属の感触が指先に伝わり、覚束ない意志がその動きに宿る。
ひとつ、またひとつ。
鍵が回り、静寂の中に小さな機械音が響いた。エンジンの鼓動はまるで眠りから覚めたばかりの生き物のようで、その振動が身体にじんわりと伝わる。
街はまだ夢の中。
灯りは点いていない家々、重なり合う屋根の影、ひんやりとした空気は静謐のヴェールのように辺りを包んでいた。
どこへ行くのか、明確な目的地はなかった。それでも身体は自然と車を走らせる。心の奥底に微かな衝動があった。理由はわからない。
ただ、海へ向かうこと。
夜明け前の空はまだ深い紺色に染まり、星が最後の輝きを放っていた。少しずつ、その星たちは薄れ、代わりに遠く東の空から青白い光が差し込む。
車の窓を少しだけ開けると、潮の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。塩の匂いと冷たい風が交じり合い、胸の奥にしまっていた何かが目覚めるようだった。
やがて車は波打ち際にたどり着く。砂浜はまだ夜の静けさに包まれ、足跡は一つもない。
自分だけの世界だった。車のドアを開けると、冷気が襟元に滑り込み、砂の感触が足裏に柔らかく広がった。
潮騒が優しく耳を撫でる。波は満ちては引き、引いては満ちる。その呼吸のようなリズムは、まるで自分の心臓と同期するかのようだった。
空は薄紫色に染まり、東の空は次第に明るさを増していく。
やわらかな朝の光は、砂の粒子を金色に輝かせ、波間にきらめく水滴はダイヤモンドの欠片のように散らばっていた。静かに歩みを進める。一歩一歩が砂を押し、波の冷たさをかすかに感じながら。風は髪をそっと掬い上げ、肌に触れた瞬間、息を飲むほどの冷たさを残す。
その冷たさは痛みではなく、むしろ生きていることを教えてくれる感覚だった。
心は不思議なほど落ち着いていた。
孤独は静かな友となり、内なる声がひとつずつ丁寧に紡がれていく。
「もう朝」
その言葉は、口にすれば消えそうな薄氷のようだったが、胸の中では確かにあたたかく溶けていった。誰もいない砂浜で、ひとりきり。それでも、この瞬間は満たされていた。
波の音と風の声だけが、何もかもを包み込み、自分の存在を確かめることを許してくれていた。目を閉じると、冷たい潮風の音と柔らかな波のさざめきが、身体中を満たしていく。
自分の鼓動と、世界の呼吸が重なり合う。その静けさの中で、過去のざわめきや未来の不安はすべて溶けていった。ただ、今ここにいるという感覚だけが残る。
砂浜の風景は、まるで夢の一場面のように、光と影の中でやわらかく揺れていた。時間は緩やかに溶け、波のリズムに合わせて自分も揺れる。足元の砂が冷たく、やがて全身へと広がっていく。その冷たさは、まるで過去の痛みを洗い流す雨のようで、新たな何かを迎え入れる準備のようにも感じられた。
砂浜に立ち尽くし、朝の光を浴びながら、自分自身がゆっくりと目覚めていくのを感じていた。
もう朝。
この言葉の中に、無限の可能性が秘められている。
それは終わりでもなく、始まりでもなく、ただ「今」を生きることの尊さの証だった。そしてまた一歩、砂の上を踏みしめる。
自然とひとつになり、波の音と風の歌に包まれながら、孤独だけど温かいこの世界で、ひとりきりの自分と静かに向き合っていく。
やっと眠りから覚めたみたいだ。
静かな朝の空気の中で、身体の奥からゆっくりと目覚める感覚が広がっていく。まだ曖昧なままの未来が、朝の光の中にぼんやりと浮かび上がる。
「今日は何をしよう。」
そう思うだけで、心の中にほのかな期待が芽生えた。波の音は変わらず穏やかに寄せては返し、風は優しく髪を撫でていく。この静けさの中で、ひとりの自分がやわらかく呼吸を始める。
誰にも邪魔されない、まっさらな時間がここにある。
やっと、私の一日が始まる。
