2025.05.23
皆さん漠然とですが、下北沢のイメージとして“古着” “バンド” “お笑い”といった印象があるかと思います。
かくいう筆者もそういったイメージでした。そのイメージに相違はないでしょう。
そこで、下北沢になぜ“古着” “バンド” “お笑い”などが根付いたのか、そしてこのカルチャーはどこから来たのかを今回、音楽メディアであるDigOutが徹底的に深掘りしていこうと思います。
筆者はDigOut編集部のよしおです!下北沢にゆかりはありませんが、仕事上、ほぼ毎日訪れる場所という事で、下北沢について知りたい!と思い立ったわけです。
音楽にも通じるかと思います。好奇心から始まる爆発は誰にも止められないという事です!!
語弊を恐れず吐いた言葉を飲み込むことはしません(笑)でもそうですよね?(責任転嫁…)
それでは下北沢をDigっていきましょう!
はじめに、なぜ下北沢には若者が集まるのかについて考えてみた。
理由はいくつかあるが、まずは下北沢の立地にあるだろう。流行りが集まる渋谷や原宿が近く、働き盛りの若者が多く働く新宿からも近い。
そんな都会の中心のように思える立地だが、決して都会の喧騒を引きずらない下北沢。
他の街にはない“余白”がある気がする。喧騒から逃れて自分を見つけられるちょうどいい距離のように感じ、なんだか都会にいるのに空が広く感じる。
きっちり整備された都心にあるようなショッピングモールも、煌びやかな高層ビルもない。代わりにあるのは、入り組んだ路地裏と、少しクセのある古着屋、長居できる喫茶店や、小さな劇場やライブハウス。
物価も比較的安く思える。古着屋や個人店で掘り出し物を見つける体験も若者には魅力的だろう。
下北沢は単なる目的地ではなく、何かを探してふらっと立ち寄れる、そんな通過点として、若者たちを引き寄せているのだなと筆者は思う。
そこに流れる空気は、“無理しなくていい感じ”という言葉がよく似合う。
そんな曖昧で自由な空間が、尖った若者だけでなく“何者かになりたい”と願うすべての若者の受け皿になっているように思える。
行けばなにかある街、行けば発見がある街、下北沢。では具体的にどんなカルチャーが根付いているのかを深掘りしていこう。
調べたところ、下北沢のカルチャーは、ジャンルを超えて横に広がっているように思える。
音楽、演劇、古着、古本、アート、喫茶店、路上パフォーマンスなどなど。どれもが下北沢という街の中で自然に混じり合っている。
演劇の街としての歴史は1970年代にさかのぼり、本多劇場を中心に小劇場文化が根づいた。
一方で、90年代にはインディーズバンドの拠点にもなり、アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の聖地として有名な「SHELTER」や、数々の有名アーティストを輩出した「CLUB Que」などが若手の登竜門として若手バンドマンの憧れの地となっていった。
喫茶や古着屋も、“流行の発信地”というより“個性の表現地”のようにも感じる。それは来店するお客さんも、そこで働く人も。
作り込まれた世界観ではなく、むしろ作りかけのままにしておく“余白”こそが、この街のカルチャーなのだろう。
2022年には再開発が一段落し、駅周辺に新しい商業施設や広場ができた。かつての雑多な路地が整備されることに一抹の寂しさを感じる声もあったそうだが、下北沢は“新しさ”と“自分らしさ”を共存させる選択をしたのだと思う。
再開発によって失われたものももちろんあるだろうが、その分、新たな表現者が育ち、また別の文化が芽吹いている。
それは新しい感性の集合体とも言える。
過去のレイヤーの上に新しい色が乗っていくように、時代ごとの若者がこの街に自分の色を加えていく。
だからこそ、下北沢はいつまでも“いま”を生きる街として若者に人気なのだろう。
偶然の発見と未完成の表現が、訪れる者に新しい感性を引き出させる。
整いすぎない街だからこそ、ここにはまだ語られていない物語が息づいていると思った筆者。
本コラムで下北沢を深掘りした結果、一言で下北沢を表すなら、
“目的地”ではない!下北沢は“出会いの交差点”!
それでは今日も下北へ行ってきます!DigOut編集部のよしおでした!