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<Concept Playlist#7>「飛びたい夜に限って」

DigOut編集部のよしおが選んだ楽曲たちをプレイリストにし、それに合わせて空想の物語を短編小説に昇華しました。

“音楽を通して物語を楽しむ”をモットーに作った「Concept Playlist」

今回のConcept Playlistでは、一人の時間を満喫したい時や、落ち込んだ時に読んで、聴いていただければと思います。

気休めの聴き薬?読み薬とでもいいましょうか。そんなConcept Playlistに仕上がっております。

一度聴いて、読めば長い付き合いになると思います。

次はConcept Playlist#8でお会いしましょう!

飛びたい夜に限って

眠れない夜は、いつも決まって天井を見上げる。明かりを消した部屋の中、ただ静かに呼吸を確認していると何もかもが遠ざかっていく気がする。

音も、光も、自分自身も。

深く考えたくないが、思考は勝手に動き出す。過去の失敗、今ではどうにもならない会話や、誰にも伝えなかった気持ちなど。

そんな夜、スマホが震え懐かしい名前が画面に浮かぶ。

恋人だった人からの短いメッセージだった。

「最近どうしてる?」

たった一言、一文に少しだけ胸が踊る。

返事を打っては消し、最終的に「元気」とだけ送った。決して元気ではない。少なくとも誰かに思い出してもらえたこと。その気持ちだけが事実として残る。

次の日、意味もなく散歩に出かけた。雲は流れており、風は穏やかで、通りがかった近所の公園には子供たちの声が響いていた。

ぼんやり川沿いのベンチに座っていると、リードに繋がれていない犬がよたよたと近づいてくる。決して元気には見えない犬は、やがて僕の足元に座り動かなくなった。

数瞬置き、すぐ後ろを歩いていた女性が少し驚いた顔で「すみません、この子、あんまり人に近寄らないんですけどね…」と笑い、矢継ぎ早に女性が語る。

「小学生の頃から一緒にいるので、もうおじいちゃんなんですけど、家族以外には近づきもしないんですけどね。どうしたんだろう?」

他愛ない会話。でも、それだけで少し息がしやすくなった気がしたのを覚えている。久しく人間との会話がなかった僕は、少し気まずかったが、どこかに喜んでいる自分を見かけ、なんとか会話を続けた。

「名前はなんて言うんですか?」

振り絞るように発した僕の言葉に間髪入れずに彼女が答える。

「パンチって言います!」

溌剌とした彼女が眩しく、直視ができなかった。

「パンチが効いた名前ですね」

今思うと寒気がするほどパンチの効いていないジョークだったなと思うが、そんな寒いジョークを言えるほどには元気になれたのかなと、自分なりの解釈で無理やり腑に落とした。

そんな久しぶりの会話を終え、電車に乗った帰り道、勇気を出しておばあさんに席を譲った。僕は次の駅で降りるつもりだったし、久しぶりに血の通った会話が川沿いで出来たこともあり、自然と譲る事ができた。

おばあさんはお手本のような笑顔で「ありがとうね。」とだけいい、大きなレジ袋に入っていた一房のバナナを差し出した。そこから一本だけ受け取り、素直に感謝を述べ、車内から身体を出した。

家に帰って食べたバナナは、驚くほど甘かった。

週末、小さな山に登った。頂上を目指すほどの体力はなかったが、少しでも高い場所に行きたかった。

すれ違う人と挨拶を交わす習慣が登山にはあるらしく、下山するハイカーたちが声をかけてくれる。そのなかのひとり、爽やかな声の男性が「あと少しですよ〜頑張って〜」と笑顔をくれた。

その一言だけで、足が軽くなった気がした。頂上で見た景色はとても澄んでおり、遠くの山の形がクッキリと縁取られていた。

これも何かの記念だと思い、フォトスポットにスマホを置き、タイマーを5秒に設定し急いで画角内に写った。

ピントは合っていなかったし、急いでスポットに向かう自分の姿がみっともなく写されており、思わず笑ってしまった。

無事に素敵な写真を撮り下山した僕は、自宅の近所にある牛丼屋で腹ごしらえしようと思った。

いつものようにタッチパネルを操作し、注文を終えると10秒も経たずに牛丼が運ばれてきた。

思わず「早いですね」と、驚いて言うと「いつも同じなんで覚えちゃいました」と、店員さんが笑いながら答えた。

それにしても早かったため思わず笑った。かつて、こういうのに憧れていた自分がいたことに気づき、笑みが溢れてしまった。店員さんには気づかれていないだろうが、笑い慣れていない僕の笑顔は不気味な顔をしていただろうと、ふと思った。

店員さんに感謝を伝え、タバコがないことに気づきコンビニへ向かった。

思いがけない事がコンビニでも続き、店員さんが僕の顔を見るなり素早くタバコを差し出し「ですよね?」と、いつも吸うタバコを差し出してくれた。

「そうです」

誰かが自分のことを覚えてくれている。それだけで、なんだか今日一日を生き延びた気がした。

次の日カフェに寄った。カウンターでコーヒーを啜りながら小説の構成を考えていると、店員さんが苺のタルトをそっと置いてくれた。

「甘いの行けます?今日で2周年なんで、よかったらどうぞ!」

驚きながらも丁寧に「ありがとうございます」と言えた。その言葉が、ちゃんと声になって伝わった事が、なにより嬉しかった。

仕事からの帰り道、信号待ちをしていた夜、向かいから歩いてきた男性と目が合った。見たことのある顔。学生の頃、常に耳にしていたロックバンドのボーカルだった。偶然すれ違った一瞬の出来事。けれどもその瞬間だけ灰色の世界が彩られたように思えた。

自分でもびっくりするくらいの出来事が連続して起きた。太陽と同じように、昇ったり沈んだりを繰り返す日々の中で、確かなことは少ない。けれど、この2週間、小さい、けれど確かに嬉しいことがいくつも積み重なった。

人の温度、ふとした偶然、覚えていてくれる誰かの存在。特別な出来事なんて何もなかった。でも、ちゃんと笑えた日があった。誰かにありがとうと伝えた日があった。それだけで、少しだけ前を向ける気がした。

14日目の夜。

部屋の電気を消し、静かにコーヒーを飲んだ。街の広告が流れるように移り変わる日々の中、確かに僕は生きていた。

「また波が来るかも」

ぽつりとつぶやいた。

そう、またきっと、飛びたくなる日がくる。だけど、飛びたい夜に限って小さな幸せが、きっとまたどこかで訪れてくれると思える。それだけでいい。いや、それだけがいいとすら思える。

今夜は呼吸を確認せずに眠りに就けそうだ。

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